うっしーブログ

のんびり。

第一回。学校生活は楽しいなぁ(笑)。

唐突に始まった第一回。それはふとした思いつき。自己顕示欲に駆られていた僕は早速パソコンを開いてこのブログを立ち上げた。ただそれだけ。

コロナもようやく落ち着きを見せ、日に日に学校は再開し始めた。今までの、元通りの生活に戻っていく。学校嫌いの僕もまた、次期が遅れど新たな学校生活に少しばかり、胸を膨らませていた。

だなんて。学校生活が楽しいわけなかった。空想上の僕は随分と大胆で積極性のある人のようだ。休んでいる間に学園系のアニメを見すぎたせいか、日常を大きく勘違いしてしまったらしい。何もしない、できない自分に興味を持つ人間など存在するはずもなく。

一言も発することのない日が続く。初日、課題の提出の際、僕はホチキス止めを忘れたので、誰かに借りようと思ったことがあった。クラスの中に顔見知りなどいない環境下で僕は勇気をもって声をかけた。否、結果を言えばかけようとした、が正解になってしまったわけだが。僕の声など届くはずもなかった。みーんな誰かとくっちゃべっていて僕の入る隙間などないのだ。結局、その日の課題提出を諦め、後日提出した。

多くの学生がスマートフォンを持つ今、クラスラインというものが存在することを知っているだろうか。名前の通り、ラインのグループにクラス全員が入り予定、課題等の確認を行ったり、その他自由に質問、会話をすることができるというもの。クラスラインに入るというのは情報の確保に繋がる、人とほとんど話さない僕にとっての生命線と言っても過言ではないのだ。今年は、入れそうにない。

教師の話をしよう。結論を言えば、教師というのはどこまでいっても、上から生徒全体を眺める存在でしかないのだ。僕は教師を尊敬している。少なくとも僕の通う学校では(極少数を除いて)とてもわかりやすい授業を行ってくれる。将来、教師になるのも悪くないと思うくらいには尊敬しているのだ。でもやっぱり、そう、個人の内情をいちいち気にしていられるほど教師は暇ではないのだろう。

一つ、教師の話の具体例を出そう。頭に来た話だ。
僕はある日ホームルームを欠席した。欠席した生徒は他の生徒からその日の情報を教えてもらうのだ。そして、欠席した数時間後。教師からメールが届く。その日のホームルームの情報があった。まぁ、想定の範囲内だった。僕と繋がっている人などクラスにいないから、僕に情報を伝えようと名乗り出る人がいなかったのだろう。悔しいし、教師に申し訳なさを感じたその直後。「あなたが誰も助けなかったから、誰も、あなたを助ける人はいなかった」「だからあなたも誰かを助けなさい」といったような文が。怒りが、こみあげてくる。文と文の表面の小綺麗さに最初、僕に対し皮肉でも言っているのかと思った。何故、名乗り出る人がいなかったか。そんなものは簡単である。だーれも俺と繋がってねぇーんだもーん。逆もまた然り。それを、この教師は。僕が誰にも貢献していないから誰も助けないのだ、と言ったのだ。あたかも、僕自身が誰も救わない事をあえて選択したかのような。救う手段も救われる手段も持たないこの僕に。馬鹿にされた気分だ、ほんと。でもこのメールは教師としての模範解答なのかも。その教師は教師として正しい解答をしたのだろう。僕自身ではなく、一生徒へ向けて。

あたかも、学校生活楽しい!充実してる!といったようなフリをする学生がどうにも多い。スクールカーストが上の人間にこびへつらっている自分に嘘ついていやがるんだ。充実してる、アイツといるのは楽しい、学校は楽しいって。だから僕は、学校生活は楽しいなぁ(笑)、と言ってやることにしよう。